2012年3月28日水曜日

WEBマガジン出版翻訳 原田勝の部屋


この原稿が掲載されるころには、2010南アフリカワールドカップの優勝国も決まっていることでしょう。日本代表は、残念ながら決勝トーナメント一回戦でパラグアイにPK戦で敗れてしまいましたが、みごと国外でのワールドカップで初めてベスト16に進みました。サッカーファンであるわたしには、寝不足の毎日が続いた一カ月でした。今回はそのワールドカップにちなんで、サッカーのことを書いてみます。

スポーツの翻訳は大変

スポーツにかぎりませんが、作者や主人公がいれこんでいる趣味や専門分野の描写を、一般の読者にもわかり、しかも、ファンが違和感を覚えないように訳すのはなかなか大変です。見たことのないスポーツだとルールもよくわからず、訳していて不安です。ハリポタでは、クィディッチなる新種のスポーツまで描かれているのですから、まったく翻訳者泣かせです。

わたしが訳したことのあるスポーツシーンは、『弟の戦争』のラグビー、『ライラエル』のクリケット、そして、『銃声のやんだ朝に』のサッカーです。作者は順に、イギリス人、オーストラリア人、イギリス人で、お国柄が出ていますね。じつを言えば、クリケットはなんとか訳したものの、今でもまちがってたんじゃないかと不安です。試合、見たことありませんし……。

さて、それでは、『銃声のやんだ朝に』(ジェイムズ・リオーダン作、徳間書店)のサッカーシーンをとりあげてみましょう。この作品は、第一次世界大戦中、戦場でクリスマス休戦があり、その際、英独の兵士たちが戦場でサッカーをした、という史実にもとづく小説です。主人公ハリーとジャックは、イングランドの実在のプロサッカーチーム、ポーツマスFC(注:Football Clubのこと)のユースチーム(注:高校生年代の育成組織で、優秀な選手はいずれトップチーム[注:一軍]に引きあげられ、プロになる)に所属する、共に十七歳の青年です。二人は、選手を兵役にとられて手薄になったトップチームに抜擢され、いきなりサウサンプトンFCとのダービーマッチ(注:同じ町、もしくは近隣のライバルチーム同士の試合)に出場、大活躍します。

どうでしょう。サッカーファンでない人たちのために注を入れてみました。親切ではありますが、躍動的なスポーツシーンで、こんなに注ばかり入った文章はいただけません。リズムを崩さないように訳したいところです。


wpialでトップ50の野球選手

オフサイド、説明できますか?

試合の場面を翻訳する前に、教えている学習塾で、高校生たちにサッカーをどれくらい知っているか尋ねてみました。だいたいこんな結果だったと記憶しています。

サッカーは何人でやるか?……男子はわかっているが、女子はあやしい。
フォワード……ポジションということはわかる。たぶん前のほう? 男子はわかる。
オフサイド……ちゃんと説明できる者は少数。男子も自信がない者がいる。
ポストとバーのちがい……縦横どっちかわからない者がかなりいる。

さすがに男子はなんとなくわかっていましたが、女子となると壊滅的でした。思ったより知らないと感じましたね。

以下の抜粋は、『銃声の……』の一場面です。ポーツマスFC(ポンピーという愛称で呼ばれている)が、ホームスタジアムでのダービーマッチで、敵チーム、サウサンプトンFCに0-2でリードされていたのを追いつく場面です。

Within five minutes the Pompey centre forward had scored ── to the delight of the fans, who roared out the Pompey Chimes all round the ground. Fifteen minutes remained to draw level.

The burly No.9, Charlie Weddle, hit the post with one pile-driver, headed against the bar when he should have scored, and then shot hopefully from a long way out. As luck would have it, the ball caught the heel of their centre half and was deflected into the corner of the net. 2-2.

The crowd went wild.

("When the Guns Fall Silent" by James Riordan)

五分もたたないうちに、ポンピーのセンターフォワード、がっちりした体格の背番号9、チャーリー・ウェドルがゴールを決め、大喜びのファンたちが歌う、地鳴りのようなポンピー・チャイムズがピッチを包んだ。残り十五分で一点とれば、引き分けにもちこめる。

チャーリーの次のシュートは強烈だったが右のゴールポストをたたき、決めなければならないヘディングシュートはクロスバーにはじかれた。しかし、遠目からだめもとで打ったシュートが運よく敵のセンターハーフのかかとに当たってコースを変え、ゴールネットの隅に吸いこまれた。二対二だ。

スタジアムは熱狂した。

(『銃声のやんだ朝に』原田訳)

この文でわたしが配慮した、サッカーファンと一般の読者の双方をにらんだ訳語選択の一端を以下に挙げてみます。


子供たちにチアリーディングのスキルを教えるためにどのように

ポンピー・チャイムズ

ポーツマスのサポーターたちが選手を鼓舞するチャントで、百年たった今も歌われています。シンプルで力強く、プレミアリーグ(現在世界最高レベルと言われるイングランドの一部リーグ)では有名なチャントで、『銃声の……』では、該当箇所を含む章の冒頭にチャントの歌詞(というほどのことはありませんが)が書いてあります。チャント(chant)というのは、本来は詠唱、シュプレヒコール、といった意味ですが、サッカースタジアムにおいては、多くはメロディのついた応援のためのかけ声、もしくは歌を指します。サッカーファンとしては、日本語でも「チャント」としたいところですが、ここでは使うのを我慢しました。でも、「ファンたちが歌う」として、メロディがあることを伝えたつもりです。ほんとう� �「ファン」ではなく、「サポーター」としたかったのですが……。

ピッチ

サッカーでは、グラウンドとは言わず、「ピッチ」と言うことが多いですね。原文はthe groundですが、ここはサッカーファンにも違和感のない「ピッチ」にしました。一般の読者にもなんとなくわかるんじゃないでしょうか。

背番号9、センターフォワード

英文のthe centre forwardとthe burly No.9, Charlie Weddleは、同一の選手を指しているので、わかりやすく整理してあります。
「センター」+「フォワード」で、最前列中央に位置する攻撃の選手であることは、一般の読者にも想像できると思います。経緯は省略しますが、背番号9は、昔も今も点取り屋の番号で、番号固定制となった現在では、各チームでシーズン当初に9番を与えられる選手は、ゴールの期待をかけられた者なのです。ほんとうは「背番号9」よりも、「9番」とした方がそういう背負ったものまで表現できるのですが、知らない人には多少不自然と思い、「背番号9」としました。


トップ5を受賞大学

チャーリー・ウェドルは実在したポーツマスの選手をモデルにしています。ちなみに、今回の日本代表の「9番」は、アジア予選の得点王、岡崎慎司選手でした。もっとも、最近ではいろいろな理由でセンターフォワードと言う呼称はあまり使いません。大会が始まってから最前列中央のポジションを与えられ、大活躍した本田圭佑選手(背番号18。1+8=9なので、2番手のストライカーがこの番号を欲しがることもある。)は、フォーメーション(陣形)を表わす目的もあって、「ワントップ」と呼ばれることが多かったようです。

センターハーフ

サッカーのフォーメーションの変遷を調べると、第一次大戦当時は、キーパー以外の選手たちが、うしろから2-3-5とならぶ前がかりの陣形で、センターハーフはディフェンダー二人の前、中央に位置していました。しかし、そんなことは解説できないので、「センター」+「ハーフ」でわかってくれ、と、そのままにしてあります(じつは、その後の経緯から、イギリスではセンターバックのことをセンターハーフと呼ぶこともあるのですが……)。日本では、このポジションを守備的ミッドフィールダー、あるいはポルトガル語でボランチ、などと言うことが多いのですが、時代の色やイングランドらしさを残すためにも、ここでは原文どおりにしてあります。だれも気づいてくれないかもしれませんが……。

ポストとバー

チャーリーのシュートがどこに当たったか、できるだけ視覚的に再現したかったので、まずpostを「ゴールポスト」と訳してゴールの一部であることを明示し、さらに、ちょっとズルをして、原文にはない「右の」をつけることで、ポストがゴールの左右の縦の柱であることがわかるようにしました。そうしておけば、次に出てくる「クロスバー」は、ゴールの上の部分だとすんなりわかるでしょう。

という具合に、自分がサッカー好きなので、この時はいろいろ承知の上で工夫をこらすことができました。自信がない場合は、よく調べ、できれば詳しい人に見てもらって、訳文に違和感がないかチェックしてもらうといいでしょう。


その上で、スポーツシーンにはスピード感と視覚的な明瞭さが必要です。テレビで見るようなスピード感は出せませんが、それでも、言葉のリズムを保ちつつ、できるだけ映像が浮かぶよう配慮したいものです。「右のゴールポスト」は、ポストとバーの区別をつけるだけでなく、読者が場面を想像しやすい効果もあります。翻訳としては反則かもしれませんが、イエローカードはもらわずに済むんじゃないでしょうか?

ポーツマスFC

最後にポーツマスFCのことを少し。ワールドカップで第二戦からイングランドのゴールキーパーを務めたデイヴィッド・ジェイムズはポーツマスの選手です。そして、今回日本代表キャプテンをつとめた川口能活選手は、2001年から03年にかけて、このポーツマスFCに所属していました。日本人ゴールキーパーとしては初の海外挑戦でした。"Yoshi"の愛称で、サポーターからは熱心な練習姿勢を評価されていたのですが、試合には2年間で12試合しか出られませんでした。『銃声の……』を翻訳した際、作者のリオーダン氏は、わたしへのメールで、「Yoshiには済まないことをした」と、冷遇されたとも思われる川口選手への謝罪めいた言葉を書いてよこしました。親の代からポーツマスサポーターであるリオーダン氏のメールを� ��んだ時、わたしは日本のサッカーファンの一人として胸にこみあげてくるものがありました。

ポーツマスFCは、ここのところ、FAカップ優勝(2007-08)、同準優勝(2009-10)など、いい結果を残していたのですが、経営破綻をきたして強制降格させられ、来季2010-11シーズンは、二部リーグから再起を期すこととなります。しかし、『銃声の……』で描かれている1900年代からほとんど変わらないホームスタジアム「フラットンパーク」と、リオーダン氏のようなサポーターの支持がある限り、必ずやプレミアリーグに復帰してくることでしょう。

ああ、つい熱くなり、長くなってしまいました。サッカー日本代表の活躍に免じてご容赦ください。スポーツを文字で綴り、読む楽しさが少しでも伝わってくれたら、と思います。

(M.H.)

2010年7月12日号
(第4巻163号)

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